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2009年04月21日

ディファイアンス〜知られざるユダヤ人、真実の戦い〜



「ラストサムライ」のエドワード・ズウィック監督最新作「ディファイアンス」を観た。
         
1941年、ナチスドイツ政権下。
ユダヤ人迫害は、東ヨーロッパの地でも始まっていた。
そんな状況下、「人間らしく生き、人間らしく死ぬ」ことを願い、1200人のユダヤ人を救ったユダヤ人兄弟・ビエルスキ4兄弟がいた。
これは、極寒の地ベラルーシの森で、運命に抵抗し、最後まであきらめずに戦い生き延びたユダヤ人達の真実の物語だ。

これまで、ほとんど語られることのなかった「偉業」に、ついにエドワード・ズウィック監督がスポットを当てることになった。

ユダヤ人と言うと、運命にあらがうこともできず、全く無抵抗のまま殺戮されていく悲劇の人々のイメージが強い。これもナチスの植え付けたイメージが尾を引いているらしいが。

なので、生き延びる為に森の中に隠れ住み、徹底的に交戦した人々がいたという事実にまず驚いた。
しかもその集団を指揮し、率いていたのが、軍人でもなく政治家でもなく、実業家でもない、ただの農夫や商店主だった市井のビエルスキ兄弟だったことにも驚かされた。

両親を殺され、自身も命からがら逃げ延びたビエルスキ兄弟は極寒のベラルーシの森に隠れ住む。やがて一人また一人と逃亡して来たユダヤ人が増え始め、森の中に次第にコミュニティーが出来始める。
彼らは寒さや餓えとも戦いながら、食料を調達し武器を奪い、度重なるドイツ軍の攻撃にも敢然と立ち向かっていく。
長兄のトゥビアをリーダーに、次男のズシュ、三男のアザエル、まだ幼い末弟のアローンは、コミュニティーをまとめ統率していくが、次男のズシュは兄の生温いやり方と対立し、森に駐留するソ連軍の仲間になっていく。
コミュニティーのユダヤ人は尚も増え続け、病が蔓延し、食料も底を突く。
更に規律を乱す輩を殺めるなど、トゥビアの苦悩は続く。
極寒の冬を過ぎ、春の訪れと共に平和な日々を取り戻せたかに思われたが、ついに大規模な空爆を皮切りに、ドイツ軍の大攻勢が始まる。
果たして彼らの運命は。
極限状態の中、彼らは無事に生き残ることが出来るのだろうか?

ニューボンド役のダニエル・クレイグが、人間味溢れるリーダー、トゥビア役を熱演している。
彼らを時に優しく包み込み、時に厳しく突き放す、深い森も一方の「主役」に思える。
生きるか死ぬかの瀬戸際の、緊張感溢れる戦闘シーンも見事だ。

途中、捕らえられた一人のドイツ兵を、殺された家族の名前を挙げながら、代わる代わる銃で殴り続けるユダヤ人達と、それを止めることができないトゥビア。ユダヤ人達の憎しみの深さには涙を堪えきれなかった。

「俺たちは動物みたいに追われる。でも俺たちは動物じゃない。可能な限り人間らしく自由に生きるために、選ばれた存在なのだ。自由の日々を手に入れることが、俺たちの勝利。真の生を勝ち取るために、例え死ぬことがあっても、俺たちは少なくとも人間らしく死にたい。」ートゥビア・ビエルスキー

ズウィック監督は近年、虐げられる者たちの苦悩と、それでも尚、信念を持って戦い続ける人々の「気高さ」を描いて素晴らしい作品を生み出し続けている。
本作もその系譜に属する傑作と言えるだろう。

翌日、見逃していた「ブラッドダイヤモンド」も観たが、こちらも欧米人の都合で、ダイヤを巡る理不尽な内戦に巻き込まれる黒人達の悲惨な現実と、運命に立ち向かう強い信念を描いた、同様の骨太な作品だった。

「ラストサムライ」以降、次回作から目が離せない監督の一人である。  


Posted by Toshizo at 11:53Comments(0)

2009年04月15日

ウォッチメン〜ヒーロー達の黄昏〜



極力、面白くなかった感想は書かないようにしているんですが、これは一言で言って「期待はずれ」でした。

想像していた映画と全然違いました。

ケネディ暗殺やベトナム戦争に関する事実を全く別の視点から解釈した、内幕モノみたいなモノを想像していたのですが・・・

「Xメン」のような、単なる「アメコミヒーローモノ」でした。

「ヒーロー」の意味を「JFK」のような実在のアメリカンヒーローだとばかり思っていたら、架空の荒唐無稽なSFヒーローでした。
しかも全盛期を過ぎた、黄昏のヒーローたち。

時代は1980年代のニクソン政権時、米ソ冷戦の真っ只中。
ニクソンやキッシンジャー、アイアコッカなど、本物そっくりにメイクされた役者が登場します。
実録内幕モノなら、ワクワクするところなんですが、ここはアメコミヒーローが実在する世界。
1940年代に活躍したヒーローたちが年老いて、ヒーロー禁止令なる法律の施行もあって、活躍の場を失っています。
そんな彼らがケネディ暗殺やベトナム戦争の影で活躍していたという設定なのです。

・・・・・

もうこの設定だけで、興ざめしてしまいました。

なんじゃこりゃ?衝撃の事実って、そんなこと?

ちょっと話は逸れますが、子どもの頃熱狂して観ていた「ゴジラ」や「ウルトラマン」に例えると、どちらも初期の作品が、いかにして「ゴジラ」や「ウルトラマン」が現実に存在する世界をその登場の理由、過程からリアルに丁寧に作るかに腐心していたのに対し、ある時期から「存在する世界」が当たり前のお約束になって、当然のように唐突に「怪獣」が登場するようになってしまったのに似ています。

ヒーローがいて当たり前の世界、中年になったヒーロー同士がSEXまでする世界。そんな世界に共感なんか出来るはずもありません。

映画のオチは、米ソの冷戦を解決する為に、ヒーローの一人が悪の組織を作り、自らが巨悪となる事で、米ソの関心を自らに向けさせ、世界を核戦争の危機から守るというものでした。

なんとも荒唐無稽な、幼稚な発想でしょう。

最後まで「ヒーローが当たり前に存在する世界」と「米ソ冷戦時代のリアルな世界」が、しっくり来ないままの、これはもう本年度マイワースト1作品というしかない作品でした。  


Posted by Toshizo at 11:35Comments(0)
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