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2009年09月17日

グッド・バッド・ウィアード〜韓流チゲ鍋ウエスタン〜



これは文句なしに「面白い!」「カッコいい!」。
        
日本による朝鮮統治が行われていた1930年代。
満州の荒野を舞台に、金のためなら手段を選ばないクールで凄腕の賞金稼ぎ(チョン・ウソン)、プライドが高く冷酷非情なギャングのボス(イ・ビョンホン)、間抜けだがしたたかなコソ泥強盗(ソン・ガンホ)の3人が、日本軍の残した1枚の宝の地図をめぐって壮絶な争奪戦を演じる。
マカロニ・ウェスタンの名作「続・夕陽のガンマン」にインスパイアされて製作された韓国製ウェスタンで、監督は「反則王」のキム・ジウン。

タイトルの「いい奴、悪い奴、変な奴」はセルジオ・レオーネのマカロニ・ウエスタンの名作「続・夕陽のガンマン」の原題「the GOOD, the BAD, and the UGLY」(いい奴、悪い奴、嫌な奴)のもじりらしい。
明快なマカロニウエスタンへのオマージュと言っていいだろう。
そういえばサブタイトルにも「オリエンタルウエスタン」と付いていた。

ストーリーは、混沌とした1930年代の満州。
ギャングのパク・チャンイ(イ・ビョンホン)が起こした列車強奪のすきに、乗客を襲った盗賊のテグ(ソン・ガンホ)は、偶然にも日本軍が隠した清朝の財宝の在処を記した宝の地図を盗む。
大銃撃戦の末、命からがら逃げ出したテグは、ギャングたちや賞金ハンターのパク(チョン・ウソン)に狙われてさらなる逃避行をするハメになる。
三者入り乱れての大争奪戦に、ついには日本軍まで絡んできて・・・。
果たして、日本軍の隠した宝は本当にあるのか?

ラストには「3すくみ」の決闘が待っている。
最後に宝を手にするのは誰か?
日本軍の宝とはなんだったのか?

韓国映画にいつも感心させられるのは、とにかく「男」がカッコいい!
イ・ビョンホンのサイコチックな冷血漢振りも、チョン・ウソンのウインチェスター銃を華麗に使いこなす寡黙なガンマンも、ホレボレする位カッコいい!
映画スターとはかくあるべし!のお手本だ。
日本映画はもっと見習わなければ。
キムタクにおんぶに抱っこじゃしょうがない。
ハリウッドに「本格アクション西部劇」が観られなくなって久しいが、それをまさか韓国映画がやってくれるとは。

スキヤキウエスタンのキワモノ振りに比べたら、もう「本気度」で雲泥の差である。
限りなく広がる一面の荒野を馬で駆け巡る爽快感。
馬上での壮絶なガンアクション。
CGのアクロバチックなアクションを見慣れた目には、生身のアクションがとても新鮮に見える。
それを韓国を代表するトップスターたちが嬉々として演じているのだから、これ以上の映画らしい演出はない。
オールドファンには懐かしいジョン・ウエインの駅馬車などのアクションシーンも彷彿とさせる。そうそうウインチェスター銃といえば、ジョン・ウエインのトレードマークでもあった。
190cmという長身のチョン・ウソンだから、このライフルがまたさまになる。

そういえば「三大スターが夢の共演」を果たした西部劇といえば、これを連想される方も多いだろう。
「アラン・ドロン」と「チャールズ・ブロンソン」と「三船敏郎」、仏米日の三大スターが共演した1971年公開の「レッドサン」。
あの当時、韓国映画に同じことが出来る時代が来るなどと誰が想像しただろう。しかも本作は「レッドサン」の100倍は面白い!と断言出来る。

血湧き肉踊るアクション西部劇の傑作だ。

男に惚れたきゃこれを観ろ!

最後に一つ欲を言えば、この三人に「峰不二子」のような「セクシーな謎の美女」が絡んで来ると、もっと楽しめたと思う。   


Posted by Toshizo at 08:42Comments(0)

2009年07月27日

劔岳 点の記〜ある映画バカの仕事〜



迷いに迷って、やっと観た「劔岳・点の記」。

前評判通りの本物の映画だった。

監督が今や日本を代表する名キャメラマン・木村大作、と聞いた時に、真っ先に頭をよぎったのが、「八甲田山」や「聖職の碑」「日本沈没」などの、森谷司郎監督と組んで撮った、かつての日本映画超大作だった。

それらは残念ながら、前宣伝ばかり先行して、作品の出来はイマイチなものばかりだった。
深作欣二監督と組んだ「復活の日」も明らかな失敗作。

つまり木村大作と聞くと、悪しき昭和の超失敗大作群を連想してしまうのだ。
ゆえに、この作品もそれらの焼き直しではないかという先入観から、なかなか観るのをためらっていたというわけだ。

しかし、木村大作は本気だった。
このCG全盛の時代にあえて一切CGを使わず、特殊効果に頼らずに、驚愕の映像を作り上げた。
それは本物だけが持つ圧倒的な迫力と息を呑む映像美。

陸軍測量部の柴崎芳太郎は、日本地図最後の空白地点を埋めるため、「陸軍の威信にかけて剣岳の初登頂と測量を果たせ」という命令を受ける。
柴崎は、案内人の宇治長次郎と剣岳の調査に入り、測量隊総勢7人で剣岳周辺に三角点を設置していき、ついに剣岳に臨む。
しかしガレキだらけの尾根、雪崩や暴風雨に続く困難に次ぐ困難が、測量隊の行く手を阻む。
命をさらしてまで、測量する意味はあるのかという迷いも7人の胸中によぎる。
 一方、創立間もない日本山岳会も小島烏水らが最新の登山道具を揃え、剣岳山頂を目指していた。
 今一度仲間としての結束を訴える柴崎。
果たして、柴崎たちは、無事剣岳山頂に立ち、地図作りの任務を果たすことができるのか。
そしてついに山頂に到達した一行が目にしたものは・・・

この映画が何よりスゴいのは、スタッフもキャストも全員が、実際に剣岳に自らの足で登っているという事だ。
ヘリコプターで山頂に機材や人を運ぶという事を一切せずに、ただひたすらに全員で登山して、実際の場所ですべて撮影しているのである。
なんと危険で労力のかかる、無謀とも言える撮影を敢行した事か。

しかし、監督木村大作がこだわりたかったのは、この一点なのだ。
ウソ偽りのない本物の映画を作りたい。
その一念のみで完成させたのがこの映画である。

その想いに応えたスタッフは勿論、浅野忠信、香川照之、松田龍平、仲村トオル等俳優陣がスゴいと思う。
彼らは無理してそんな過酷な撮影に臨まなければならないほど仕事に困ってはいない。むしろ引く手あまたな俳優たちだ。そんな彼らを突き動かしたものはなんなのか?

それが「映画愛」なのではないだろうか?

木村大作が文字通り命がけで挑んだのも、この「映画愛」あればこそ。
かつての映画人にとって、映画は命を賭けるに足る一大事だった。
黒澤組で撮影助手を務め一本立ちした木村大作にとって、映画とは命を削ってまで撮るものだったはずだ。
こんなに安易に誰でもが映画を撮れる時代になってしまったからこそ、「本物の映画作りとはこういうものだ!」というものを見せたかったのだろう。

演出面で興味深いのは、実際にモデルになった人物たちが通ったのと同じ道を俳優たちが登る事で追体験させ、その環境を与える事で、その役に成りきるというドキュメンタリー的な演出をしている点だ。
これはなかなか出来る事ではない。
役者は頭で役作りするのではなく、過酷な登山の経験を通して自分自身が登頂に成功した人物そのものになるのだ。

そしてこの映画が観る者にアピールするのは、効率一辺倒、拝金主義への痛烈な批判だ。

「大事なのは、何をしたかではなく、何のためにしたかである。」というセリフが出てくる。
これは見栄えのいい、マスコミが取り上げるような「何をしたか」の裏に、誰にも注目をされなくとも地道な努力を「何のためにしたか」を誇りに出来る人々がいることを教えてくれる。
測量のために前人未到の険しい山に登ったかつての無名の日本人たちの心意気や誇りを今こそ自分たち日本人は取り戻さなければならないのだ。

今自分がしている仕事は「何のために」しているのか、今一度じっくりと考えてみたいと思う。

今だ日本映画界にこんな本気の映画バカがいたことを日本人として映像制作者の端くれとして、誇りに思いたい。

この映画では類型的ながら「陸軍の横暴さ」や「マスコミの野次馬根性」も描かれている。

「陸軍」のお偉いさんは、何かと言うと「軍の威信に掛けて」ばかりだし、新聞記者は、日本山岳会とどっちが先に登頂するかばかりを煽り立てるし、いつの時代も変わらない。

そんな中で、初登頂を競い合う陸軍測量部と日本山岳会の、登頂後にお互い手旗信号で健闘を讃え合うシーンはジーンとくる。
スポーツマンシップにも似た爽やかな感動。
元々お互い勝ち負けへのこだわりなどなかった2チームが、周りに煽られていただけなので、素直にお互いを讃え合える。

このシーンは、偶然にも「真夏のオリオン」のラストシーンともダブる。
知力を尽くして戦った日本の潜水艦乗組員とアメリカ駆逐艦乗組員が、艦上でお互いに敬意を表し、健闘を讃え合うシーン。

これらに共通するのは、敵味方でありながら同じ目的のために命がけで事を成した男たちの共感、仲間意識なのだろう。

木村大作監督が特に強調したかったのが、まさにこの「仲間意識」。
今こそ日本人は、この「仲間意識」を持って、同じ目的に向かって一丸となるべし!というメッセージを感じる。
そしてこの思いがエンドロールで明快になる。
いつもの見慣れた、制作、脚本、撮影、撮影助手、監督、監督助手、などの序列を一切排した、ただ「仲間たち」の名の元に、全く同列で流れるスタッフ/キャストのエンドロール。
苦楽を共にした「仲間たち」への最大の「賞賛」がここに見て取れ、その想いに目頭がまた熱くなってしまうのだ。  


Posted by Toshizo at 16:58Comments(0)

2009年07月23日

MW〜日本映画の課題〜



手塚治虫の原作はもう20年以上前に読んだもので、ほとんど内容は覚えていない。生誕80周年記念映画という触れ込みだが、単に話題づくり、宣伝の為の謳い文句に過ぎない気がする。

冒頭いきなりタイでオールロケしたという誘拐事件から始まり、スピード感ライブ感あるカーチェイスシーンへと、息もつかせずなだれ込む。

まずは玉木宏演じる、悪の化身・結城のお披露目といったところだ。

ストーリーは、16年前ある島で起きた島民が一夜にして全員虐殺されるという事件の奇跡的な生き残りの二人の少年が成人して、片方の賀来(山田孝之)は人々を救済する神父に、もう一人の結城(玉木宏)は、事件の謎を追い、事件を隠滅した巨悪に次々と復讐する悪魔へと変貌を遂げていた。
そして大量破壊兵器「MW」の存在が明るみに。
それを手にしたものは世界を支配出来る。
結城はそれを手に出来るのか?賀来は阻止出来るのか?
結城の果てしない復讐劇に終焉は来るのだろうか?

というもので、物語の設定と結城と言うキャラクターを原作からいただいただけで、これが手塚治虫原作の映画化だということは、あまり関係ない。

確かに、玉木演じるアクのヒーロー結城は魅力的だが、アクションに力点を置きすぎたせいか、人間ドラマの部分が消化不良に思える。
特に悪魔の結城に対比させるべき、天使の賀来が出番も少なく、まったく対決になっていない。結城に利用されるだけの迷える子羊でしかない。
恐らく山田孝之自身、納得してないだろう。
ここはやはり脚本の書き込み不足、演出の突っ込み不足だろう。

脚本は「デスノート」と同じ脚本家のようだが、あれで成功した「キラ」と「L」のワクワクするような善と悪の対決の構図が、本作では全く活かされてない。
結城を追いつめる刑事たちは翻弄されっぱなしだし、結城の独り舞台で終わってしまっているのが残念だ。

この映画は、日本映画としては大作の部類に入るだろうし、カメラワークやテンポのいい編集など、頑張っていると思う。
ただ日本映画の今後の課題として残るのは、監督の力量だと思う。
最近の日本映画は、企画制作から宣伝に至るまで、テレビ局主導で行われるようになったため、気心の知れたテレビドラマの監督が映画の監督まで務めるのが一般的になってしまっている。致し方ないことなのかも知れないが、やはり根本的にテレビドラマのディレクターと映画監督は全然別モノなはずなのだ。

本作の監督もそうだが、テレビから映画に移行した時、派手なアクションやドンパチ、爆破シーンを入れなければいけないと思っているフシがある。
大スクリーンに耐えるような派手な演出をと考えるのだろう。
しかし、「ハリウッド病」とでも言ったらいいだろうか、それが大きな勘違いで、みんなそこで失敗してしまう。
もちろん派手な仕掛けも必要だろうが、それと同じ位緻密で繊細な人物描写、人間ドラマが必要なのだ。
その為に映像を駆使する。それこそが映画監督の本分なはずである。
そして、そこにこそ作家性が色濃く現れるはずなのだ。

テレビドラマのディレクターは、限られた時間と予算でそこそこのものを作る術には長けているだろう。
だが「映画を作る」というのは、もっと別次元の愛や情熱がなければならない。「映画にする」というのは、もっとスタッフ/キャストが一丸となって悪戦苦闘しなければ出来ないものだ。

これは想像でしかないが、主役級の俳優が「今日は何時から何々の仕事が入ってますから、これで失礼します。お疲れ様でした。」と言って、あっさり現場を去るような、そんな現場からは、真の「映画は生まれない」。

大きな意味での「芸能界」に属す、日本の映画界のこれからの課題は、芸能界から隔絶されたところで、本気で映画を作ろうとする役者や監督などの人材がどれだけ出て来るかに掛かっているのではないだろうか?  


Posted by Toshizo at 11:06Comments(4)

2009年07月09日

愛のむきだし/パワフルピュアラブストーリー」


          
「紀子の食卓」の園子温監督の問題作。

大分トリニータの大口スポンサーでもあるオメガプロジェクト制作の4時間にもなる長尺作品だ。
なにせ4時間という長さに二の足を踏むが、実際にはそれほど長く感じない。
展開の速さと編集のテンポがいいためだろう。

物語は、厳格な牧師の子として産まれた主人公が、父から毎日その日の懺悔をさせられるうち、自ら「罪」を作り出すようになり「盗撮魔」になる。
やがて理想の女性と衝撃的な出会いをするが、女装した「さそり」として出会った為に、彼女は「さそり」の方に夢中になり、彼の方には見向きもしない。
そのうち、父親が彼女の母親と再婚し、二人は義理の兄妹になってしまい、同じ屋根の下で暮らす事に。
やっとの思いで告白するものの、彼女はオウムを思わせる新興宗教に入信してしまう。
そしてそんな彼女を救い出す為、命がけの戦いを挑む主人公。
果たして彼女を脱会させる事が出来るのか?

これがなんと「実話」を元にしているらしい。
妹をオウムから救い出した兄、の件が実話らしいが、なんとも奇妙奇天烈な物語である。

「盗撮」や「女装」「義兄妹」「新興宗教」。
下世話と崇高のごった煮とでも言うか、このいかがわしさは、かつての日活ロマンポルノを観ているようだ。(そこまで過激なシーンはないが)

しかし、ここに描かれるのは、紛れもない純粋な「愛」の姿。

まさに「むきだしの愛」の姿だ。

終始一貫、ひたむきな「愛」のチカラだけで、観る者をグイグイと引っ張っていく、とてつもないパワーのある映画だ。

それだけで4時間一気に見せてしまう、園子温監督の「チカラ技」はもの凄いものがある。鬼才と呼ぶに相応しい監督だと思う。

万人向けではない内容だが、昨今の生っちょろい恋愛ドラマに飽き飽きしている向きには、是非一度体験してもらいたい、パワフルラブストーリーである。  


Posted by Toshizo at 11:37Comments(0)

2009年07月08日

フィッシュストーリー/起こらなかったことも歴史の一部である



超が付くぐらいの人気作家・伊坂幸太郎原作のファンタジー(?)

この「フィッシュストーリー」も半分は多部未華子見たさでしたが、まさに、気楽に観れるライトムービーの王道でした。

ストーリーは、
2012年、彗星の地球衝突まであと5時間。人類は滅亡の危機にさらされていた。
1982年、気弱な大学生は運命の女と出会うと予言される。
2009年、修学旅行中、フェリーから降り損なった名門女子校の女子高生と、正義の味方になりたかった若いコックはシージャックの巻き込まれる。
そして1975年、早過ぎたパンクバンド「逆鱗」は、売れる当てのない最後のアルバム「FISH STORY」を録音する。

これら時間も場所も違う4つのストーリーが繋がる時、人類を滅亡から救う奇跡が起こる。

いわゆる「風が吹けば.大風で土ぼこりが立つ。土ぼこりが立つとほこりが目に入って、盲人が増える。盲人が増えると三味線を買う(当時、三味線は盲人が弾いた)。三味線が売れると三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される。ネコが減ればネズミが増える。ネズミが増えると桶を囓る。桶の需要が増え桶屋が儲かる。」という、あれの現代版みたいな話です。

「因果応報」「運命のいたずら」昔からいろんな言い方をしますが、単なる「偶然」では済まない、何か不思議な力が働いているんじゃないかと思う事もあります。

この映画ではそのきっかけが「売れなかったレコード」になるわけですが、モノを作る仕事をしていて思うのは、「売れたモノ」がすべてではないということ。
「映画界」も「音楽界」も「文学界」も、すべて売れた映画、売れた曲、売れた本だけで出来ているわけではありません。
大部分の売れなかったモノたちも含めて、その歴史は成り立っているんですよね。もっと言えば、世に生み出されなかった没企画も含めての歴史なんです。

寺山修司の遺した言葉に「起こらなかったことも歴史の一部である」というのがあります。
いつもコンペで負けた時等、自分を慰める意味でこの言葉を思い出していますが、この映画を観て、また思い出しました。

実現しなかった事や生み出されなかったモノでも、立派に歴史の一部なんです。
それらがいつ何時カタチを変えて生み出され、世界崩壊の危機を救うかも知れません。
そんな歴史に埋もれてしまうようなモノや人にも立派に意味があるんです。
そう思うと勇気がわいて来ます。
そんなモノや人に愛おしさを感じさせてくれる映画でした。  


Posted by Toshizo at 14:56Comments(0)

2009年07月06日

チェイサー/戦慄の韓流クライムサスペンス



韓国NO.1大ヒット!観客動員500万人突破。
世界中を狂喜させた圧倒的映像体験が、遂に日本に上陸する!。
韓国アカデミー賞主要6部門受賞し、レオナルド・ディカプリオによるハリウッド版リメイクも決定。

という「触れ込み」の韓国映画「チェイサー」。
         
韓国映画には、時折とんでもない傑作が登場するが、これも間違いなくその1本と言っていいだろう。
過去に「カル」「殺人の追憶」「オールドボーイ」と、とんでもなくスゴいクライムサスペンスの傑作があったが、これもその系譜に属する作品だ。
強いて言えば、徹底したリアリティの追求という点で「殺人の追憶」に近いだろうか。

物語はソウルで実際にあった事件、10か月に21人を殺害した疑いで逮捕された、韓国で“殺人機械”と言われた連続殺人鬼ユ・ヨンチョルの事件をベースにしている。

デリヘルを経営している元刑事のジュンホ(キム・ユンソク)は、店の女の子たちが相次いで失踪する事態に見舞われていた。
ときを同じくして街では連続猟奇殺人事件が発生する。
ジュンホは女たちが残した携帯電話の番号から客の一人ヨンミン(ハ・ジョンウ)にたどり着く。
ヨンミンが女たちを売りさばいていると考えたジュンホは激しく追求し、ヨンミンは逮捕され、「売っていない。殺した。」とあっさり自供するが、遺体は発見されず、証拠不十分で再び街に放たれてしまう。
幼い娘を残したまま失踪したデリヘル嬢ミジンの行方をなおも追い続けるジュンホ。
果たしてミジンの安否は?
ヨンミンとの決着は?
そして、予想を越えた衝撃の結末が。

よく練られた脚本。
予測不能なスピーディーな展開。
雨が印象的などんよりと抑えた色調。
凄まじくリアルな暴力描写。
全編にみなぎる緊張感。
ソウルの夜の街を駆け巡る疾走感。
どれを取っても素晴らしい、驚異の映画的体験だ。

実録モノとしてもサスペンスアクションとしても超一級の出来だと思う。
ディカプリオ作品など、どうでもいい。
多分、ハリウッドに勝ち目は無いだろう。

これをナ・ホンジンという新人監督が撮ったのだから、韓国映画界の層の厚さに驚かされる。
次回作が楽しみな驚異の新人監督だ。  


Posted by Toshizo at 09:18Comments(0)

2009年06月26日

群青〜人間を描けているか〜

   


試写会で観て来た。
長澤まさみが一皮むけるか?に注目した映画だった。
興味はその一点だけと言ってもいい。

結果は・・・
なんの盛り上がりもない平板な脚本と、間延びした編集、ありきたりな演出で、退屈きわまりない映画だった。
長澤まさみの演技以前に、映画として最低の出来と言わざるを得ない。
2時間もの時間を使って、何が言いたかったのか?
「死んだ人間はいつもそばにいて見守っていてくれる」それだけのことか。
「千の風になって」で散々歌われたテーマをわざわざ2時間もかけて見せられたのか。

とにかく脚本も演出も下手過ぎる。
平板なストーリーをなぞっているだけで、人物が人間が全く描けていない。

単純な話、涼子と一也がどれほど愛し合っていたかの部分が全く描かれない。
キスシーンすら無い。
それゆえ、一也が死んだ後の廃人の如き涼子の落胆振りに全く共感出来ない。
愛の歌を歌う一也のシーンでもなんの伏線も無い為、肝心な部分を第三者に語らせてしまう安直さ。
素潜りのシーンでも海の怖さを描く演出は全く見られない。
お約束の沖縄の自然のシーンもワンパターンで、シーンの継ぎ目に繰り返しインサートされるだけ。
ワンカットが長く、テンポが遅く、2時間がスカスカで、これなら半分の1時間で充分に伝えられる内容だ。
とにかく、とんでもなくダメな演出家だ。

長澤まさみのために書き下ろした原作らしいが、まったくどこが彼女の為になっているのかわからない。
せっかく沖縄の青い海に旅行に行きながら、水着になって思い切り泳ぐこともせず、ずっと部屋に引きこもっているようなものだ。
制作者サイドが一番、彼女の魅力に気付いてないのではないだろうか?

"http://www.e-obs.com/MOVIE-S/"   


Posted by Toshizo at 13:38Comments(0)

2009年06月15日

重力ピエロ〜原作を超えた最強の家族〜


「フィッシュストーリー」に続いて観た「伊坂幸太郎モノ」。
原作は読んでいたし、映画化された作品も全部観ていたので、大体予想はしていたが、なんとこれは予想を大きく上回るいい出来だった。
これまで映画化された4本中ナンバー1なのは間違いない。
どこが良かったかというと、まずキャスティング。
兄が加瀬亮、弟が岡田将生、父が小日向文世、母が鈴木京香、強姦魔が渡部篤郎、ストーカー女・夏子が吉高由里子。
特に最強の家族4人が良い。
原作ではあまり感じられなかった、家族一人一人の体温(低温ながらも)が感じられた。
脚本も脚色され、原作以上に「家族の絆の物語」が鮮明になっていると思う。
そして何より演出のアイデアで、立派に「映画になっている」と思えるシーンがいくつかある。
そう、映像化しただけでは映画にはならないのだ。
これまでの伊坂作品は、映像化はされたが映画にはなってなかったのだと思う。残念ながら、こういう「映画になっている映画」に出会う事は滅多にない。
この森淳一監督、初めて観た監督だが,映画をわかっている監督だと思う。
次回作にも期待出来る監督だと思う。
この作品、間違いなく本年度日本映画のマイベスト3に入るだろう。
どこが「映画になってる」か?是非、皆さんの目で観ていただきたい。   


Posted by Toshizo at 15:18Comments(0)

2009年05月12日

グラン・トリノ〜すべての頑固親爺へ、イーストウッドの遺言〜



イーストウッド監督最新作「グラン・トリノ」を観た。
「チェンジリング」に継ぐ、魂に響く傑作だ。

主人公は78歳の頑固で偏屈な老人,ウォルト。

映画は妻の葬儀のシーンから始まる。
ヘソ出しファッションで参列し、携帯メールを打つ無神経な孫娘とそれをとがめようともしない息子家族。マニュアル通りの説教しか出来ない若造の神父。
それらにイライラをつのらせるウォルト。
このシーンだけで、彼がいかに頑固な老人で、社会や家族に対して不満を持っているかが瞬時に理解出来る、秀逸なファーストシーンである。

ウォルトは朝鮮戦争に出兵し敵を十数人殺した経歴を持ち、帰国後はフォードの組立工をしてアメリカ経済の繁栄を支えて来た、いまだに栄光の50年代を引きずっている男である。

イエローやブラックに差別用語をまき散らす彼の不満は、思うようにいかない家族だけでなく、近隣にアジア系移民が増えた事。
そして唯一の楽しみはアメリカの繁栄の象徴、ピカピカのビンテージカー72年式フォード、グラン・トリノを眺める事。

そんなある日、隣に住むベトナム戦争で祖国を追われ移民して来たモン族の少年タオが不良仲間にそそのかされ、グラン・トリノを盗みに入った事から、不思議な近所付き合いが始まる。

実の家族よりも慎ましやかなモン族の家族に親しみを感じるウォルト。
実直な少年タオにも心を開き、男の道を教えようとするウォルトだったが、不良仲間に暴行を受けたタオを助け、報復した事から歯車が狂い始める。

ついにタオの姉、スーが不良たちに暴行されひん死の重傷を負ったことで、ウォルトの中に、ある「決意」が生まれる。

果たして最後にウォルトが取った行動とは。
衝撃の結末が、激しく胸を打つ。

ある男の生き様、人生の幕引きを描いて、これほどまで見事な哲学と美学を見せてくれた映画がかつてあっただろうか?
勿論,背景には戦争の後遺症、経済の衰退、銃社会の是非、家族の絆などの問題も描かれている。

これは「老後のダーティーハリーの物語」であり、イーストウッド版「生きる」であり「東京物語」でもある。

ウォルトは日本で言えば、かの三船敏郎が演じたかもしれない役所だ。
思えば「用心棒」の模倣「荒野の用心棒」で映画界に入り、キャリアを重ね、俳優としての最後の作品でまた三船を演じる。
なんとも感慨深いことではないか。

何かがおかしいと社会に不満を持ち、自分の人生はこれで良かったのかと疑問を持ち始めた、すべての「頑固親爺」に観て欲しい。
必ずや心動かされることになるだろう、俳優イーストウッドの遺書とも言うべき傑作である。

これで本年度洋画マイベスト5のうち2本をイーストウッド作品が占めるのは間違いない。  


Posted by Toshizo at 10:07Comments(2)

2009年05月08日

鴨川ホルモー〜青春は爆発だ!〜



タイトルからして「?」なタイトルですが、ドラマの「鹿男あをによし」で一躍その名を轟かせた、万城目学原作の「青春ファンタジックコメディ」です。

二浪して京都大学に入学した安倍明(山田孝之)は、サークルの勧誘で新歓コンパに参加。なんのサークルかよくわからないままに入部してしまいます。
勧誘役の先輩(荒川良々)が、相変わらずトボケたいい味出してます。
謎のサークル京大青竜会に入った安倍を待ち構えていた「ホルモー」とは?
そのサークルとは、なんと京の都にいにしえから伝わる、オニ(式神)を操って合戦させる「ホルモー」と呼ばれる競技サークルで、京都の東西南北に位置する4大学の対抗戦が毎年行われていたのです。
まずはオニ達に指示を出す為の摩訶不思議な「オニ語」をマスターすることから始まり、半信半疑ながら次第にハマっていく新入部員たち。

恋に合戦に火花を散らす、当世大学生たち。
京の街を舞台に、疾風怒濤の狂乱絵巻が展開されます。

いやぁこれは面白い!万城目学、よくまぁこんな設定を思いつくモノです。
ありえない設定をさもありそうにもっともらしく見せる「万城目ワールド」が映画になって更に炸裂!
日本映画ならではの奇想天外、前代未聞の娯楽傑作、ここにあり!
キャスティングの上手さ、CGの違和感のなさ、先が読めないスピーディーな展開、どれを取っても「上出来」でした。

キャスティングで気になっていたのは「芦名星」。いきなりハリウッド映画「シルク」で謎めいた日本女性を演じて彗星の如く現れた超新星です。
いやぁこの女優は「いい女」という形容がぴったりの近年稀に見る「日本的美人女優」で、「シルク」以降、初めてスクリーンでその姿を目にしました。
この娘は使い方によって大女優になる資質を秘めていると思いますね。  


Posted by Toshizo at 10:07Comments(0)

2009年05月08日

おっぱいバレー〜生懸命の素晴らしさ〜



「おっぱい=綾瀬はるか」で観に行こうと思っている人、結構多いんじゃないでしょうか?ナイスなキャスティングですね。
勿論、綾瀬はるかのおっぱいが拝めるなんてことは120%ありえないんですが、もしかしたら・・・と密かに期待して観る人もいるかもしれませんね。
実際に生徒達が試合に勝って先生がおっぱいを見せる展開になるかどうかは、観てのお楽しみということで。

中学校の弱小男子バレー部(通称バカ部)が新任の女性教師・美香子先生がバレー部の顧問になったことから、悪知恵を働かせて、「試合に勝ったら先生のおっぱいを見せて下さい」と迫られ、曖昧ながら約束をするところからお話が始まります。まるでバレーボールなどやったことがない彼らが、そんな「目標」が出来たことで、がむしゃらに練習に打ち込みはじめますが・・・
不純な約束が学校側にバレ、解雇される美香子先生。そしてついに大会当日。
彼らは強豪校相手に1勝を挙げることが出来るのか?

とまぁ、たわいのないストーリーなんですが、舞台を北九州、時代を1970年代としたことで、生徒達の「エロ」に対する純粋さにリアリティーが生まれ、動機は不純でもひたむきに頑張ることの大切さを訴える、爽やかな青春映画になっています。
劇中に流れる音楽も70年代のヒットソングばかり。
監督は、日本版グローイングアップを狙ったということでしたが、あそこまで「エロ」は強調されておらず、その点が物足りないと言えば物足りませんでした。綾瀬はるかを起用した時点で、そういった下世話でちょっとエッチなB級青春コメディ路線とは一線を画す作品になって(しまって)ます。(笑)

ちょっと専門的な観方をすると、この羽住監督の演出は、どの作品もそうですが、これまでにあった映画の定石をなぞっただけの感が否めず、本作でもラストの別れのシーンも何十回と観て来た電車の別れのシーンそのままでした。
斬新とまではいかなくても、もう少し目新しい演出を考えないと、いずれ埋もれていきそうな気がします。
特に今回は演出的に「遊べる」題材だっただけに、オーソドックス過ぎる演出は非常に残念です。   


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2009年05月08日

スラムドッグ$ミリオネア〜インドのソコヂカラ〜



アカデミー賞主要8部門受賞ということで、いやでも期待が膨らみます。

結論から先に書くと、「スゴい!」のひと言。大傑作です!

舞台は現在のインド。
設定は誰もが知っているあのクイズ番組クイズミリオネア。
インドでも絶大な人気を誇るこのクイズ番組に、18歳の無学なお茶汲み男・ジャマールが出演、彼は予想を覆し、次々と正解を連発、あれよあれよと言う間に1000万ルピーを獲得。ついに2000万ルピーを賭けて、医者や弁護士なども達成したことのない、前人未到の最終問題に挑みます。
しかしそれを阻止しようとした司会者が、放送終了後警察に通報、ジャマールの不正を暴くよう依頼し、2000万ルピーを賭けた放送前日、彼は逮捕されてしまいます。
警察に拷問され、不正の手口を吐くように強要されますが、ジャマールは頑に不正はしてないと訴えます。
彼は何故、正解を知っていたのか?全問正解を導き出せたのか?
そこには、幼い頃から孤児としてスラムで育った彼の過酷な人生が、色濃く反映されていたのです。
果たしてジャマールは最終問題に正解することが出来るのでしょうか?
そして彼がこの番組に出た真の目的とは?

この映画にはインド人俳優しか出て来ません。
この映画にはスラムの現実や高度経済成長を遂げた「インドの今」が描かれています。
これはイギリス人監督がハリウッド資本で撮った、紛れもない「インド映画」です。
スラムで生きる子どもたちの過酷な現実と、生命力に驚かされます。
「運命」を信じ、「運命」を受け入れ、逞しく生きるインド的バイタリティに溢れた映画です。
これが文字通り「インド映画」で、スラムの現実を描いただけの(インドでは検閲が厳しくネガティブな作品は作れないそうですが)悲惨な映画だったら、精々単館上映がいいところで、これほど多くの人の目に触れることはなかったでしょう。
この映画の上手さは、それを資本主義の権化とも言うべきマネーゲーム番組と絡めた発想のユニークさに尽きます。
番組の進行、警察の追求、ジャマールの生い立ちという3つの要素が絡み合っていく構成の巧みさも特筆モノです。

ボストンの新聞の評に「今夜の予定をすべてキャンセルしてでも、この映画を観に行くべきだ」というものがありましたが、確かにそれだけの価値のある映画だと言って間違いありません。

このインド(を題材にした)映画と日本映画の「おくりびと」がオスカーを獲得したことは、ハリウッドのアメリカの「変化」を感じさせる出来事だったのではないでしょうか?
ジョン・ウーの「レッドクリフ」も合わせて、何か「東洋的思想」「東洋的精神」のようなものが注目され始めているのではないでしょうか?
21世紀はアジアの時代と言われますが、映画界ではすでにその傾向が顕著になって来ているのではないでしょうか?  


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2009年05月08日

レッドクリフ2〜アジアの時代〜



「1」を観て続きを期待していたので、迷わず観て来ました。
「1」が登場人物のキャラクターを描くのに時間を割いていたのに対して、「2」は当然ながら「合戦シーン」に重点が置かれています。
アクション監督・ジョンウーの面目躍如。
特に戦いの終盤、千両役者が顔を揃えて三つ巴で剣を突きつけ合うシーンの緊迫感は、剣が銃に変われば、かつて観た香港映画そのものでした。

でも一番興味を引かれたのは、派手な「合戦シーン」ではなく「知略」の部分でした。特に孔明の「知力」には驚嘆させられます。
武器が不足した呉軍に「100万本の矢を10日以内に調達して来る」と約束した孔明が、たった3日でそれを実行します。果たしてその方法とは?
はたまた、北西の風が東南の風に変わらなければ呉軍の勝利はないと思われた時、3日後に風向きを変えてみせたり。
曹操軍の2武将を呉軍のスパイと思い込ませて、曹操に処刑させたり。
200万対20万の壮絶な赤壁の戦いの裏に巧妙な頭脳戦があったことに非常に興味を引かれました。
そしてそれを練った天才軍師・孔明という人物に改めて興味を持ちました。
まさに「天を読み、地を読み、人を読む」こんなスーパーヒーローが、今の時代にいてくれたら。今の中国に期待するのは無理な話でしょうか?   


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2009年04月21日

ディファイアンス〜知られざるユダヤ人、真実の戦い〜



「ラストサムライ」のエドワード・ズウィック監督最新作「ディファイアンス」を観た。
         
1941年、ナチスドイツ政権下。
ユダヤ人迫害は、東ヨーロッパの地でも始まっていた。
そんな状況下、「人間らしく生き、人間らしく死ぬ」ことを願い、1200人のユダヤ人を救ったユダヤ人兄弟・ビエルスキ4兄弟がいた。
これは、極寒の地ベラルーシの森で、運命に抵抗し、最後まであきらめずに戦い生き延びたユダヤ人達の真実の物語だ。

これまで、ほとんど語られることのなかった「偉業」に、ついにエドワード・ズウィック監督がスポットを当てることになった。

ユダヤ人と言うと、運命にあらがうこともできず、全く無抵抗のまま殺戮されていく悲劇の人々のイメージが強い。これもナチスの植え付けたイメージが尾を引いているらしいが。

なので、生き延びる為に森の中に隠れ住み、徹底的に交戦した人々がいたという事実にまず驚いた。
しかもその集団を指揮し、率いていたのが、軍人でもなく政治家でもなく、実業家でもない、ただの農夫や商店主だった市井のビエルスキ兄弟だったことにも驚かされた。

両親を殺され、自身も命からがら逃げ延びたビエルスキ兄弟は極寒のベラルーシの森に隠れ住む。やがて一人また一人と逃亡して来たユダヤ人が増え始め、森の中に次第にコミュニティーが出来始める。
彼らは寒さや餓えとも戦いながら、食料を調達し武器を奪い、度重なるドイツ軍の攻撃にも敢然と立ち向かっていく。
長兄のトゥビアをリーダーに、次男のズシュ、三男のアザエル、まだ幼い末弟のアローンは、コミュニティーをまとめ統率していくが、次男のズシュは兄の生温いやり方と対立し、森に駐留するソ連軍の仲間になっていく。
コミュニティーのユダヤ人は尚も増え続け、病が蔓延し、食料も底を突く。
更に規律を乱す輩を殺めるなど、トゥビアの苦悩は続く。
極寒の冬を過ぎ、春の訪れと共に平和な日々を取り戻せたかに思われたが、ついに大規模な空爆を皮切りに、ドイツ軍の大攻勢が始まる。
果たして彼らの運命は。
極限状態の中、彼らは無事に生き残ることが出来るのだろうか?

ニューボンド役のダニエル・クレイグが、人間味溢れるリーダー、トゥビア役を熱演している。
彼らを時に優しく包み込み、時に厳しく突き放す、深い森も一方の「主役」に思える。
生きるか死ぬかの瀬戸際の、緊張感溢れる戦闘シーンも見事だ。

途中、捕らえられた一人のドイツ兵を、殺された家族の名前を挙げながら、代わる代わる銃で殴り続けるユダヤ人達と、それを止めることができないトゥビア。ユダヤ人達の憎しみの深さには涙を堪えきれなかった。

「俺たちは動物みたいに追われる。でも俺たちは動物じゃない。可能な限り人間らしく自由に生きるために、選ばれた存在なのだ。自由の日々を手に入れることが、俺たちの勝利。真の生を勝ち取るために、例え死ぬことがあっても、俺たちは少なくとも人間らしく死にたい。」ートゥビア・ビエルスキー

ズウィック監督は近年、虐げられる者たちの苦悩と、それでも尚、信念を持って戦い続ける人々の「気高さ」を描いて素晴らしい作品を生み出し続けている。
本作もその系譜に属する傑作と言えるだろう。

翌日、見逃していた「ブラッドダイヤモンド」も観たが、こちらも欧米人の都合で、ダイヤを巡る理不尽な内戦に巻き込まれる黒人達の悲惨な現実と、運命に立ち向かう強い信念を描いた、同様の骨太な作品だった。

「ラストサムライ」以降、次回作から目が離せない監督の一人である。  


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2009年04月15日

ウォッチメン〜ヒーロー達の黄昏〜



極力、面白くなかった感想は書かないようにしているんですが、これは一言で言って「期待はずれ」でした。

想像していた映画と全然違いました。

ケネディ暗殺やベトナム戦争に関する事実を全く別の視点から解釈した、内幕モノみたいなモノを想像していたのですが・・・

「Xメン」のような、単なる「アメコミヒーローモノ」でした。

「ヒーロー」の意味を「JFK」のような実在のアメリカンヒーローだとばかり思っていたら、架空の荒唐無稽なSFヒーローでした。
しかも全盛期を過ぎた、黄昏のヒーローたち。

時代は1980年代のニクソン政権時、米ソ冷戦の真っ只中。
ニクソンやキッシンジャー、アイアコッカなど、本物そっくりにメイクされた役者が登場します。
実録内幕モノなら、ワクワクするところなんですが、ここはアメコミヒーローが実在する世界。
1940年代に活躍したヒーローたちが年老いて、ヒーロー禁止令なる法律の施行もあって、活躍の場を失っています。
そんな彼らがケネディ暗殺やベトナム戦争の影で活躍していたという設定なのです。

・・・・・

もうこの設定だけで、興ざめしてしまいました。

なんじゃこりゃ?衝撃の事実って、そんなこと?

ちょっと話は逸れますが、子どもの頃熱狂して観ていた「ゴジラ」や「ウルトラマン」に例えると、どちらも初期の作品が、いかにして「ゴジラ」や「ウルトラマン」が現実に存在する世界をその登場の理由、過程からリアルに丁寧に作るかに腐心していたのに対し、ある時期から「存在する世界」が当たり前のお約束になって、当然のように唐突に「怪獣」が登場するようになってしまったのに似ています。

ヒーローがいて当たり前の世界、中年になったヒーロー同士がSEXまでする世界。そんな世界に共感なんか出来るはずもありません。

映画のオチは、米ソの冷戦を解決する為に、ヒーローの一人が悪の組織を作り、自らが巨悪となる事で、米ソの関心を自らに向けさせ、世界を核戦争の危機から守るというものでした。

なんとも荒唐無稽な、幼稚な発想でしょう。

最後まで「ヒーローが当たり前に存在する世界」と「米ソ冷戦時代のリアルな世界」が、しっくり来ないままの、これはもう本年度マイワースト1作品というしかない作品でした。  


Posted by Toshizo at 11:35Comments(0)

2009年03月09日

ヤッターマン〜映画原作の宝の山〜



家族4人で「ヤッターマン」を観て来ました。

13歳の息子と5歳の娘が、どちらも観たいと思う映画って、なかなかないので、家族4人で観ることは滅多にありません。
でもこの「ヤッターマン」は、子どもたちは勿論、ママは櫻井くん見たさ、パパはフカキョン見たさ(笑)で、全員が観たいと思う映画でした。

オリジナルのアニメが放映されてたのが1977年、自分はもう大学生だったので,ヤッターマンのファン世代ではありませんが、実写で映画化となると観ないわけにはいきません。
こういう「おバカなアニメ」を本気で実写映画化しようという姿勢は、大いに応援したくなります。

内容はというと、全編の90%がCGというだけあって、最初から最後までドッカンバッタン、ドタバタの連続。全く飽きさせずノンストップで駆け抜けた感じです。

一番のウリはCG技術の見事さ。
日本のCG技術も世界に誇れるレベルですね。

それとキャスティングの上手さも特筆モノです。
よくぞドロンジョにフカキョンをキャスティングしてくれました。天晴です。
噂通りの「胸の谷間」を堪能させてもらいました。

やっぱり実写映画化の肝は「CG技術」と「キャスティング」に尽きますね。
難しいことを考えずに誰もが楽しめるアトラクションムービーに仕上がってます。

これが出来たらもう何でも実写化できます。
こうなると本当に日本の「漫画・アニメ」は映画原作の宝庫ですね。

これから「ドラゴンボール」「カムイ外伝」などが控えていますが、みなさんは実写映画化して欲しい「漫画・アニメ」何がありますか?

自分は「ワイルド7」「サイボーグ009」「宇宙戦艦ヤマト」辺りを是非実写で観てみたいものです。
キャスティングを勝手に考えるのも面白そうですね。  


Posted by Toshizo at 21:14Comments(0)

2009年03月03日

少年メリケンサック〜時代がパンクを求めてる〜



待望のクドカン最新作、観て来ました。

かんな(宮崎あおい)は、メジャーレーベルの音楽事務所のダメ契約社員。
新人発掘担当だが、全く実績を挙げられないまま、契約期限を間近に控え、ダラダラと毎日を過ごしていた。そんなある日、ネット動画で「少年メリケンサック」という名のパンクバンドを発見!
さっそく事務所のホモ社長(ユースケサンタマリア)に報告すると、社長自身が昔パンクをやっていたこともあって大乗り気。
その動画をネットで配信すると同時に、かんながバンドメンバーとアポを取ることに。
ネットで流しただけで「少年メリケンサック」の人気が爆発し、一気に10万アクセスを突破。それに気を良くした社長は早々と全国銃弾ツアーを企画してしまう。
その頃かんなは、バンドリーダーのアキオに連絡を入れ、会いに行くが。。。

そこには中年の飲んだくれ親爺(佐藤浩市)が。
なんと、かんなが発見した動画は25年前の「少年メリケンサック」ものだったのだ。
ツアーチケットはすでに完売。
後戻り出来ないかんなは、バンド再結成に奔走する。
プライドだけは高いベースのアキオ、アキオの弟で今は酪農を継いだギターのハルオ(木村祐一)、喧嘩っ早い元ヤンキー、モヒカンのドラム、ヤング(三宅弘城)、解散ライブ時の事故で車イス、言語障害の残るボーカル、ジェニー(田口トモロヲ)。
満足に演奏すら出来ない彼らだったが。。。
アキオの「奇跡を見せてやろうじゃねぇか」の意気込みを信じ、全国縦断ツアーの幕が切って落とされる。

果たして奇跡は起こるのか?


今なぜ「パンク」なのか?
「パンク」とは、そもそも何だったのか?

「パンク」とは「衝動」。
何かをしたいが何をしていいのかわからない。
モヤモヤとした気持ちを発散出来ない。
そんな時、とにかく「衝動」に突き動かされるままに「行動」すること。
それが「パンク」だ。

現在の閉塞状況を打破するのは「パンク」しかない。
とにかく「衝動」のままに「声」を出せ。カラダを動かせ。
上手いとか下手だとかは関係ない。
頭で考えずにカラダを動かせ!
沸々と湧いて来る熱いモノを衝動のままに解き放て!
それが「パンク」だ!

若者だろうと中年だろうと、年齢なんて関係ない。
動き出した時、そこからが青春だ!
「青春とは、ある年齢を差すのではない」
若かろうと、何もしない奴は「青春」を生きていない。
中年だろうと、老年だろうと、何かを求めてひたむきに行動する時、それが「青春」だ!

この貴重なひとときに僕たちは、何かをしないではいられない。
この貴重なひとときを僕たちは、青春と呼んでもいいだろう。
青春は二度とは帰って来ない。
みなさん青春を。。。今このひとときが僕の青春。

吉田拓郎の「青春の詩」の一節を思い出した。


この映画は、若者にも中年にも平等に「勇気」と「元気」をくれる。
そっと背中を押してくれるような映画ではない。
強引にステージに引っ張り上げられるような映画だ。
この映画そのものが「衝動」と言ってもいいだろう。

もちろんクドカンギャグも満載で、笑えて、考えさせられる。

田辺誠一演じる「Gackt」のパロディ「SINYA」や、息子に言わせると、「アジカン」のパロディ「ジェネレーションオブアニメーション」、ジャニーズ系のパロディ「少年アラモード」など、皮肉ったキャラが続々登場する。

クスリにも毒にもならないような、無味無臭の音楽を垂れ流すだけの、今の日本の音楽シーンを笑い飛ばす、痛烈な批判映画にもなっている。


とまぁ、力をいれた感想になりましたが、

宮崎あおいが可愛い〜。
くるくる変わる喜怒哀楽の表情。コメディエンヌとしての魅力を再発見出来ます。

佐藤浩市、ダサかっこい〜。
ダメ中年が本気出した時のかっこよさ。この役はこの人しかいません。

これだけでも充分観る価値のある映画ですので、是非お気軽に。  


Posted by Toshizo at 11:33Comments(0)映画

2009年02月23日

日本映画のあるべき姿/祝おくりびと外国語映画賞受賞



やりましたね。
前評判は高く、日本国内でも賞を独占してましたけど、あんな日本人にしか理解できそうもない映画が、まさか外国語映画賞を獲るとは。

スタイル(様式)こそ違え、「死者を送る気持ち」は万国共通なんですね。

日本固有の価値観だと思われたものが、実は世界にも通用する普遍的なものだったということですね。
これは、日本映画のあるべき姿のお手本と言っていいでしょう。
ハリウッドに追従していても敵うわけがありませんから。

大袈裟に言えば、日本が、日本人が、国際社会の中でどう生きていくか?
何が出来るのか?
その答えもここら辺にあるのかも知れません。

やはり、私たち日本人がまず日本を知ることですね。

日本を知る為にも、是非この映画を劇場で観て下さい。
これから全国で再上映されるはずですから。  


Posted by Toshizo at 23:40Comments(0)映画

2009年02月18日

チェンジリング〜人間そのものを描くということ〜


         
クリントイーストウッド監督、期待の新作。
試写会で観て来た。

ある日突然、消えた息子。
5ヶ月後に帰って来た彼は別人だった。
この子は誰?私の子どもはどこへ?
1928年、ロサンゼルス。
魂で泣く本当にあった物語。
どれだけ祈れば、あの子は帰ってくるの?

このチラシの宣伝文句を読んで、どんな映画を想像するだろう?

お涙頂戴の母子の愛情物語?

を想像すると、違う。では

魂が入れ替わるホラーサスペンス?
人格転移のサイコサスペンス?
社会派の陰謀ミステリー?

う〜ん、そのどれでもない。
イーストウッド監督が、そんな一筋縄でいく映画を撮るはずが無い。

これは「とんでもない」映画だ!

母子の感動物語であり、警察の不正・腐敗告発映画でもあり、実録連続殺人鬼モノでもあり、どんでん返しミステリーでもある。

これらの要素がすべて詰まった、もの凄く「とんでもない」映画だ。

ズッシリと重く観る者にのしかかってくる映画だ。

2時間20分、息をつく間もなく、たっぷりと「人間ドラマ」を見せてくれる。いや「人間そのもの」を見せられたというべきか。
「人間」の「愛情の深さ」「猾さ」「醜さ」「怖さ」「罪」「信念の力」「正義」ありとあらゆるモノをこれでもかこれでもかと、胸をえぐるように見せつけられる。

前述の宣伝文句に騙されてはいけない。あんなモノはこの映画のほんのさわりの部分しか表現出来ていない。

観ていない人には全く何のことかわからないだろうから、ストーリーに少し触れてみよう。

1928年ロサンゼルス。クリスティン・コリンズ(アンジェリーナジョリー)は、9歳の息子、ウォルターと二人で平和に暮らしていた。
しかしある日突然、息子が忽然と姿を消す。
警察に捜査を依頼するも、全く本気で捜索してくれない。
そして5ヶ月が経って、警察から知らせが入り、息子が帰って来る。
しかし、息子を名乗る少年は全くの別人だった。
それは手柄を挙げたい警察の「でっち上げ」だったのだ。
警察は、我が子ではないと主張する母の言葉を黙殺するばかりか、強制的に精神病院に入れ、我が子と認めるまで退院させないという卑劣な手段を取る。

そんなある日、不法入国していたひとりの少年が逮捕される。
そしてその少年の口から、前代未聞のアメリカ犯罪史上最悪の連続少年誘拐殺人事件が語られることになる。
警察はウォルター少年も含む消息不明の少年の写真を彼に見せる。
誘拐された人数は20人以上。数人は逃げ延びているらしい。

果たしてウォルター少年の消息は?

やがて犯人が捕まり、事件の全貌が明らかになるかに思われたが。。。

過酷な運命は、まだ始まったばかりだった。

アンジェリーナジョリーが、まさに主演女優賞モノの熱演を見せる。
本当に涙が枯れ果ててしまったのではないかと思えるほどの、やつれ果て振りがスゴい。
それでも尚、息子の生存を信じ続け、警察の不正とも戦い続ける。
こんな役は10年に1度、彼女にとっては演技開眼のまたとないチャンスだったろう。

クリントイーストウッドの「人間」を見る目の鋭さ、深さも感動モノだ。
「ミリオンダラーベイビー」以降、1作毎に凄みを増していくようだ。
そいてついにここまで来た。
これほどまでに「人間」が描かれた映画は、ちょっとないだろう。
すでに本年度ナンバー1に間違いない。

これは是非、劇場でじっくりと、腹をくくって観て欲しい映画だ。

恐らく大多数の人の想像を遥かに超えた、とんでもない映画だ。

大分の映画情報まるわかり「MOVIE-S!」
  


Posted by Toshizo at 09:56Comments(0)映画

2009年02月15日

12人の怒れる男〜ロシアの今を浮き彫りにする〜



1957年公開のシドニールメット監督の出世作、アメリカ映画史上に燦然と輝く法廷ドラマの古典的名作がロシア映画としてリメイクされた。

冷戦時代、アメリカ映画をロシアでリメイクなどということはありえないことだったはずだ。
それが今、何故リメイクされたのか?
ロシアでのリメイクにどんな意味があるのか?

そんな疑問の答えを期待して観てみた。

もちろん、12人の陪審員が、1人の少年が起こした殺人事件を裁くという設定はオリジナルのまま。

違うのは舞台が現在のロシアで、被告の少年がチェチェン人ということ。

チェチェン人の少年が養父であるロシア人を殺した事件。
有罪は確定的と思われ、12人全員が「有罪」で簡単に審議終了の予定だった。が。。。一人の男が「無罪」を主張し、あらためて審議し直すことになる。
その過程で、12人一人一人の「人生」が浮き彫りにされ、事件の詳細が見えてくるにつれ、次第に「無罪」に傾いていく者が増えていき。。。

ついに全員が「無罪」で確定するかに見えたが。。。

そこには、オリジナルとは異なる「切なく衝撃的なラスト」が待ち受けていた。
少年の背負わされた「現実」の前に、男たちはどのような結論を導き出すのだろうか?

ロシアの「恥部」といわれ、これまでほとんど報道されてこなかった「チェチェン紛争」の「真実」。
その「恥部」にメスを入れることこそが、このリメイクの意図するものだったのだ。
オリジナルの設定のみをいただいて、全く別の時代に、全く別の世界で、「ロシアの今」を鋭く描きながら、オリジナルに勝るとも劣らない傑作が生み出された。
リメイクとはこうありたいものだ。
これはアカデミー外国語映画賞にノミネートされるのも頷ける傑作だと思う。


三谷幸喜のパロディ「12人の優しい日本人」も、もし日本に陪審員制度があったらという設定の傑作だったが、今もし日本映画でこれを本気でリメイクするとしたらどんな映画になるだろうか?
今の日本が抱える問題とは?日本の現実が浮き彫りにされる傑作になりえるだろうか?
周防正行監督辺りに本気で取り組んでもらいたいものだ。  


Posted by Toshizo at 22:28Comments(0)映画
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