2009年01月22日
20世紀少年〜子どもの頃なりたかった大人になっていますか?〜

原作は浦沢直樹の大ベストセラー漫画。本人が脚本にも参加している。
監督は今や日本映画界きってのヒットメーカー、堤幸彦。
制作費は三部作込みで破格の60億円。
キャストは超豪華オールスターキャスト。
これで面白くならない訳がない。
物語は、2015年、海ほたる刑務所の独房から始まる。反政府的漫画を描いた罪で服役する漫画家・角田は、向かいの独房から獣のようなうめき声を聞く。やがてその声の主は、2000年世紀末、世界を震撼させた血の大晦日事件の真実を語り始める。
2000年、ロッカーを夢見ながらも夢破れた、40歳目前のしがないコンビニ店長遠藤ケンジ(唐沢寿明)は、得意先のロボット工学の教授、敷島博士とその娘が失踪したことから、否応無しに事件に引き込まれていく。
その頃、謎の新興宗教が勢力を拡大し始めていた。
その教祖は「ともだち」と名乗り、そのシンボルマークは、ケンジたちが小学生の頃作った秘密基地の旗に描いたマークそのものだった。
しかしそのマークの存在を知るのは秘密基地を知る数人の同級生のみ。
やがてサンフランシスコで細菌兵器によると思われるテロがあり、多数の犠牲者が出る。細菌兵器による世界侵略。それはケンジが子どもの頃書いた「よげんの書」の内容と酷似していた。次に教われるのは「ロンドン」。その次は「空港爆破」。すべてが予言どうりに起こっていく。
「ともだち」はケンジたちの同級生の誰かなのか?
予言では2000年大晦日、巨大ロボットが現れ、世界は破滅するかに思われたが、9人の戦士が現れ地球を救う。
ケンジはかつての同級生を集め、正義のために戦おうとするが。。。
膨大なストーリー、複雑に絡み合う謎、沢山の登場人物。
22巻に及ぶ長編漫画を三部に分けて映画化するシリーズの今回は第一章。
2時間半がまさにあっという間。3時間越えてもまだ観ていたいぐらいだ。
それほどしっかりした構成、密度の濃い画面、テンポのいい編集なのだ。
キャスティングがまたスゴい!ほんのチョイ役まで、すべて名のある俳優が演じている。これだけのキャストを揃えた時点で半分は成功したと思える位、漫画ファンの期待を裏切らない理想的なキャスティングになっている。
原作か映画か、どっちがいいかの不毛な論争に終止符を打つ!ぐらいの意気込みが感じられる。
1969年、万博の前の年にケンジたちが小学生という設定なので、その前後の世代には、本当に「自分史」を観ているように楽しめるだろう。
昭和30年代、SFという言葉はまだなく、SF漫画は空想科学漫画と呼ばれていた。
勧善懲悪は当たり前、世界征服を企む悪の組織に敢然と立ち向かう正義のヒーローを誰もが信じ、熱狂していた。
愛も勇気も正義も、みんなヒーローが教えてくれた。
いつ頃からだろう?ヒーローが屈折し始めたのは。
単純明快な勧善懲悪に子どもたちが飽きて来たのだろうか?
高度経済成長に翳りが見え始め、未来は希望だけではないことに人々が気付きはじめ、善と悪の境界線も曖昧になっていく。
そして現在、理不尽な無差別殺人は多発し、偽装、不正が大手を振ってまかり通る時代。
正義はどこに行ってしまったのか?
子どもの頃、誰もが疑いも無く信じていた「正義」はどうなってしまったのか?
あの頃思い描いていた、僕らがなりたかった「大人」は、こんなズルくて情けない「大人」だっただろうか?
映画の終盤、ケンジたち市井の大人が悪に立ち向かっていく姿に、訳もなく涙が溢れた。
現実社会で僕らが悪に立ち向かうとはどういう事か?
普段から悪に立ち向かっているだろうか?
「男にはな、無謀だと分かっていても、立ち向かわなくちゃいけない時があるんだ!」双子のいじめっ子に立ち向かう少年ケンジが言うセリフだ。
僕らは子どもの頃なりたかった大人になっているだろうか?
Posted by Toshizo at
09:21
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